diary, blog
イベント「ひとが風景をつくる、ということ」
4/9に開催のイベント
5×緑の学校 2016「ひとが風景をつくる、ということ」第1回
に参加してきました.
話し手:長谷川浩己さん(ランドスケープアーキテクト/オンサイト計画設計事務所、武蔵野美術大学特任教授)
聞き手:西村佳哲さん(リビングワールド代表)
会場:合羽坂テラス(東京・曙橋)
※オンサイト計画設計事務所の長谷川さんとは前職で設計を担当した「群馬県立館林美術館・多々良沼公園」、「2005年 愛知万博 瀬戸愛知県館」のランドスケープでご一緒する機会があり、お世話になっています.
長谷川さんが「風景」をどう捉えていらっしゃるか、そして過去から現在取り組まれているランドスケープ事例と、そのデザインの「見方」を解説していただき、とても勉強になりました.
レクチャーのなかで、
そもそもオープンスペースであるということ自体、「3つの力」を持っている(価値がある)のではないか?
という話題がありました.
・空地の力[あいまいであること. 転用の容易さ. 確たる機能がないこと]
・自立した他者(そこに在るもの)の力[木、芝、サクラ、水など・・]
・つながっていることの力[水のように世界を浸している. パブリック. 都市の空地はすべて荒野につながっている]
現在検討されている空き地リノベーションプロジェクトでは、長谷川さんほどの方が関わって議論しても、「広場として何かデザインしなくても、ただオープンスペースがあれば良いのでは?」という話になったりするそうです.
しかし長谷川さんは、プロジェクトで広場のデザインを考えるとき、「広場としてデザインされた場所」には、もともと持っているそれらの力+αの価値を探したいと.
そして、そこだけしか得られない場所の体験、可能性(居るだけで楽しい)を考えるのだと・・
お話を聞きながら・・つい建築デザインについて重ねて考え、潜在的には同種の欲求が自分にもあるのかなと、多く共感してしまいました.
プロジェクトとは本来、それが成立することによって何かしらの前向きな話題が提供されることを目指しているのだと思います.
「デザイン」という言葉は、専門家であってもそれを発する人、受けとめる人によってニュアンスに幅があると日常的に感じます.
形を与える部分にフォーカスされがちですが、それだけでないことをどう説明したら良いのかなと・・
問題解決というほど大げさなことでなくても、何かが少しでも安心出来る、気持ちが良くなる、楽しくなる・・そうした人や物や環境へ向けられた配慮全般(美しくあること、機能的であること、経済的であること、etc・・・)その行為、その意思の表れを「デザイン」と受けとめれば良いのかもしれません.
私は、心地よくデザインされた場所や物に出会うと、単純にうれしく、何だかハッピーな気分になれます.
デザインされた方がどなたかわからなくても、そこから滲み出るような愛情や前向きな意思に共感し、幸せを分けてもらった気分になるからだろうと思います.
他者によってデザインされた物や環境を通じ、そこで1人でも無言のコミュニケーションを味わう楽しみがあります.
建築のプロジェクトでも、「そもそも建てない方が良い」という意見が出たりしますが、それは建てないことで得られる価値を守ろうとする意思なんだと思います.
守るべき物の価値と、新たなプロジェクトによってもたらされるであろう前向きな価値を比較するのは難しいところですが、「デザインすること」とは基本的にはそんな意思に支えられているのではないかと考えてしまいました.
イベントでの長谷川さん、西村さんのお話、会場の優しい雰囲気がとても素晴らしかったです.
イベント会場テラスには
日本の在来植物を使って都市に緑を増やすお仕事をされている会社:5×緑(ゴバイミドリ)さんの「里山ユニット」と名付けられた緑化アイテムが並んでいました.
テラスの植物は、合計100種以上の在来種でつくられているそうです.
植栽の鉢にあたる部分の垂直面を緑化することが可能なのが特徴です.